投機の流儀 セレクション【vol.10】劇場型捜査

筆者は特に正義感に富んだ者ではないことは事実だが人並み程度の正義感はあるとしておこう。
検察はもともと地味な仕事だし、検察庁の中に検事は一割前後の約千人位しかいないから存在感を示す機会がない。そこで家宅捜査の前には報道機関に知らせてカメラを入れさせ、さも毅然たる表情を作って颯爽と捜査に乗り込む、という風景はテレビでよく見る。
こういう「劇場型捜査」は感心しない。取り調べ途中の経過をわざわざ報道機関にリークし、世論を味方に付けるというやり方も感心しない。それに悪乗りするマスコミの無教養は笑わせるが、これは彼らの商行為だからやむを得ないとしておこう。それを喜ぶ視聴者のレベルに合わせているだけだ。
だいたい、善玉・悪玉に仕分けするというのは大衆にはわかりやすいし、パフォーマンスとしては効率がいい。テレビの水戸黄門が長続きするのもそのためであろう。また、大衆の嫉妬心に答えるとうやり方はコストパフォーマンスは良いであろう。古い話となってしまったが、ライブドア事件は結果的は単に経営手法の形式的な違法性を問題にしただけだった。しかし、その事件が東京新興株市場に与えた影響は甚大だった。殆ど新興株市場は壊滅的な打撃を受け多額の国富を失った。
20数年前の『リクルート事件』は泰山鳴動鼠一匹であった。そのために内閣が破綻した。

劇場型捜査が巨悪をあぶり出して正義を表わすということをやったためしがない。劇場型捜査と云うものは国富にとって百害あって一利ない。善玉・悪玉と仕分けしてパフォーマンスの効率を狙ったやり方には、断固反対したい。

BACK  NEXT

電子書籍を読む!

amazon kindle   楽天 kobo