市場のプレーヤーが自分の見通しや予測について多くの人々が賛成してくれているということは自信につながるものであろう。しかしながら、この自信が過ちを生ずることは多い。ということは社会的に承認されている通りには市場は動かないことが多いということである。
「みんなが賛成している」「社会的承認を得ている」ということは、市場の予測についてはそうはいかない。必ずしも多数決では決まらないどころか、むしろ少数意見の方が当ることが多いということは古来、市場に伝承されてきた口伝のようなものであった。
1992年の14,000円台の一番底からの戻り天井の1996年6月の頃、その頃、社会的承認を得ていたのは「財政再建」であった。当時、政府与党は景気は既に万全であると見て国の財政を最優先させた。(経済を楽観視したのもあながち無理はなかった。その年のGDPの成長率はG7の中で最高だったのだから)。
この財政再建は、それの手始めが1996年6月25日決定の消費税アップだったが、まさしくその日を境として戻り歩調の株価は天井をつき、その後ふたたび20,000円台はない。ひとり株価だけは、誤った政策の結果を予見していたのだと思うしかない。
筆者が言いたいのは、この頃、消費税アップという各論には大半が反対していたものの財政健全化という大方針には世論の大半は賛成していたということの意味だ。世の識者やエコノミストと称される人々も、この大義名分には賛成した。誰もが自国の財政不健全を賛成する訳はない。財政健全化といえば総論としては賛成する。ひとり株価のみはこの世論の帰結するところは日本経済が地獄の渕をのぞきに行くところまで行ってしまうということを予知していたと見るしかない。
私事にわたるが筆者も、この世論と「識者たち」の論調につられて、うかつにも財政再建策を当時としては内心賛成しがちだったが、株価がひとりで急落していくのを見て、経済の先行きは悪化するのだと思うしかなく、この矛盾にためらいながら、株式市場から手を引く以外になかった。
もし、このとき世論につられて、あるいは「識者たち」の論につられて、その社会的承認を強い味方として買いの手を引かないでいたらどうなったか。少なくとも1996年6月22,000円台から、その7年後の7,607円までの間に大きく金融資産を減らしていたにちがいない。現にそういう投資家は沢山いたにちがいない。
「みんな賛成している」、「識者たちもそう説いている」、「社会的承認を得ている」ということが、最も気軽に大損への道をたどり始める根拠となる原因のひとつであるということを筆者は力説したい。あくまで市場はどうなっているかという事実でものごとを見なければならない。あのとき市場は、まさしく消費税値上げを決めた翌日から下がり始めたことには意味があったのだ。世論にさからって株式市場のみは知っていたと見るしかない。
「株価は人間よりも賢い」(石井久)。
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