お地蔵さんぽ【vol.9】半助地蔵@浅草

人々を苦しみから救ってくれる存在として、古くから日本人に親しまれてきたお地蔵さま。
子どもの頃からいつも側にいる、ちょっと不思議な守り神を探す「お地蔵散歩」。
きょうもお地蔵さんを探しながら歩いています。

亡くなった名主を偲んで建てられた半助地蔵

幼い子供が亡くなったら、地蔵を建てるというということはよく聞くが、成人が亡くなっても地蔵になるケースがある。
今回紹介する、半助地蔵もそのなお地蔵さまのひとつだ。

浅草4丁目にある千束小学校の隣に浅草中町会事務所というのがあって、その敷地内に半助地蔵尊がいらっしゃる。

江戸時代、浅草寺から日本堤に至る田畑に浅草溜(あさくさため)があった。
溜というのは、牢で重病になった者や15歳未満の者を収容する施設だ。

江戸は徳川家康が幕府を開いて以来。
膨張し続けていく。
この時代、今の浅草4丁目は江戸の果てだったのだろう。
もともと、吉原もいまの人形町にあったのだけれど、今の位置に移動させられている。

1699年(元禄12年)、浅草溜は、収容人数が増えたため拡張された。
その敷地は900坪へ拡張され、一之溜、二之溜、女溜という3棟の建物が建てられた。
このとき浅草溜には288人(女性7人)の囚人がいたそうだ。

近くに住む名主の半助は、ここに収容された囚人たちを手厚く世話をしたそうだ。
その半助が亡くなったあと、多くの囚人たちが彼を偲び、木彫りの地蔵尊をつくり、拝んだのが、半助地蔵尊の始まりだ。

住所は東京都台東区浅草4丁目22-2になる。
「浅草半助地蔵尊」という旗がある。

立派なお社の中に半助地蔵尊はいらっしゃる。

お地蔵さまに個人の名前がついているといえば、以前のご紹介した「たこ八郎地蔵」がある。
彼も多くの人に愛されていたので、お地蔵さまになったのだが、この半助さんもそうだったんだろう。

立派な花が供えられていて、今も人々に愛されているのがよくわかる。

蓮の上にいらっしゃる。
もともとは木彫りの地蔵尊だったらしいが、震災か戦災で失われたのだろうか、いまは石で作られた立派な地蔵尊だ。
戦後に建立されたそうだ。

あらためて半助地蔵尊を見れば、なんともやさしい表情だ。
これは、想像なんだけど、きっと半助さんという名主は、病気の囚人や幼い囚人のそれぞれ分け隔てなく接していたのではないだろうか。
だからこそ、誰もが、その死後も半助さんのことを忘れず、日々拝みたいと思ったのかもしれない。

そして、今を生きる僕らは半助さんのことは知らないけれど、そんな半助さんのことを知れば、思わず手を合わせたくなる。

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この連載について

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人々を苦しみから救ってくれる存在として、古くから日本人に親しまれてきたお地蔵さま。
子どもの頃からいつも側にいる、ちょっと不思議な守り神を探す「お地蔵散歩」。
きょうもお地蔵さんを探しながら歩いています。

【著者】
下関マグロ(しものせき・まぐろ)
フリーライター、町中華探検隊副隊長。本名、増田剛己。
山口県生まれ。桃山学院大学卒業後、出版社に就職。編集プロダクション、広告代理店を経てフリーになる。
フェチに詳しい人物として、テレビ東京「ゴッドタン」、J-WAVE「PLATOn」などにゲスト出演。
著書『下関マグロのおフェチでいこう』(風塵社)、『東京アンダーグラウンドパーティー』(二見書房)、『たった10秒で人と差がつくメモ人間の成功術』『まな板の上のマグロ』(幻冬舎)、『歩考力』(ナショナル出版)、『昭和が終わる頃、僕たちはライターになった』(共著、ポット出版)、『おっさん糖尿になる!』『おっさん傍聴にいく!』(共著、ジュリアン)、『町中華とはなんだ 昭和の味を食べに行こう』(共著、リットーミュージック)など。
本名でオールアバウトの散歩ガイドを担当。テレビ朝日「やじうまテレビ」「グッド!モーニング」、テレビ東京「7スタライブ」「なないろ日和!」、日本テレビ「ヒルナンデス!」、文化放送「浜美枝のいつかあなたと」「川中美幸 人・うた・心」など、各種メディアに散歩の達人として登場する。
本名名義の著書に『思考・発想にパソコンを使うな』(幻冬舎)、『脳を丸裸にする質問綠』(アスキー)、『おつまみスープ』(共著、自由国民社)、『もしかして大人のADHDかも?と思ったら読む本』(PHP研究所)などがある。
電子書籍『セックスしすぎる女たち 危ないエッチにハマる40人のヤバすぎる性癖』『性衝動をくすぐる12のフェティシズム 愛好家たちのマニアックすぎる性的嗜好』『みるみるアイデアが生まれる「歩考」の極意 すっきりアタマで思考がひらめく40の成功散歩術』など。