トーキョー・レガシー・ワンダーランド【vol.20】シャトレ市ヶ谷

巨大都市・東京の発展の裏側で、かつての街並みは急速に失われている。
ノスタルジックで心に残る街並み、建築物、飲食店…。
真のレガシーを求めて、今日も裏路地を歩く。
懐かしくて心惹かれる、うるわしの東京アーカイブズ。

* * *

シャトレ市ヶ谷

今回は、かつて僕が住んでいたビルの話だ。

四谷にある本塩町の四谷コーポラスという建物に住んでいたことはすでに書いた。
そのころは自転車を持っていて、やまてせん新宿へは自転車で行っていた。
新宿に行くには2通りの道があった。
ひとつは新宿通りでもうひとつは靖国通りだった。

新宿のどこへ行くかにもよるが、靖国通りはけっこう利用した。
以前も書いたが、坂町の坂が靖国通り方向にあり、ここは下り坂。
防衛庁の前を通り過ぎると曙橋駅があり、その先からは少しずつ上り坂になり、自転車で上がるのはかなりきつかった。
この坂を上がると外苑東通りがあり、これを超えると新宿の町に入ってきたというかんじだった。

この建物には阿闍梨というラーメン店があって、何度か入ったことがある。
名物はかき揚げの天ぷらがのったラーメンだった。

外観の写真が残っている。

2001年10月14日の午後4時に撮影している。
しかし、ラーメンの画像はみつからなかった。
たしか、ラーメンは夜、新宿からの帰りに食べたのだが、外観は暗くて撮れなかったので、このとき撮影したのだと思う。
そんなわけで、ラーメンの撮影が見つからない。
家から自転車で行く場合はこの坂をあがる手前に南風というラーメン店があり、たいていそこへ行っていた。

あとでわかることだが、この坂は安保坂(あぼざか)という坂だった。
この名前がつけられたのは、海軍大将の安保有種が住んでいたからだそうだ。

2008年からこの建物に住むこととなり、ここがシャトレ市ヶ谷という名前だということを知った。
この名前を聞いて、オヤッと思った。
最寄り駅は曙橋、あるいは新宿御苑前だ。
市ヶ谷駅はけっこう遠い。
なぜ、市ケ谷なんだろうかと思った。
ネットなどで調べてみると、昔はエリアとして市ヶ谷というのがあったようだ。
地名に市ヶ谷とついているところもいくつかある。
市谷台町などがそうだ。
その北側が余丁町で、ここには永井荷風が住んでいたと説明板が立っていた。

江戸時代はお屋敷町であり、明治以降は元祖山の手といわれたような場所で、高級住宅街のイメージも市ヶ谷というワードにはあったようだ。
ちなみにシャトレ市ヶ谷ができたのは、1970年12月だ。
住所は富久町だ。

阿闍梨があった場所は明京園という町中華になっていた。
引っ越しをした日はここで食事をしたし、住んでいる間、何度も食べに行った。

外観を撮影したものがあるはずなのだが、見つからない。
ただ、こんな画像が残っていた。

撮影されたのは2011年3月2日。
これは、納富廉邦(のうとみ・やすくに)さんが編集発行している雑誌、『懐中雑誌ぱなし』というミニコミ誌に連載していた<すみません、シャッター押してもらえませんか>での一枚。
まさに、これはいろいろな人にいろいろな場所でシャッターを押してくだと頼むというもの。
この画像のシャッターを押してくれたのは、当時、ポット出版で働いていた大田洋輔くん。
『昭和が終わる頃、僕たちはライターになった』(ポット出版)の最終的な打ち合わせのためにやってきた彼に家の前でシャッターを押してもらったというわけだ。

明京園の入り口が写っている。
料理写真も残っていた。

これらが何なのかはわかりませんが、食べログに投稿していたので、ここにも掲載できる。
こちらがチンゲン菜のなにか。

そして、僕は2013年の東日本大震災もここで経験した。

その2013年に新宿8丁目に引っ越した。
その翌年には台東区北上野に引っ越す。

2016年の1月、竜超(りゅう・すすむ)さんが、町中華探検隊のブログに明京園が店を閉めていると書いていたので、さっそく見に行ってみた。

貼り紙があるぞ。

この場所で10年営業していたのだ。
ちなみに明京園のご主人も家族とともにシャトレ市ヶ谷に住まわれていて、エレベーターでよく一緒になり、挨拶などをしたものだ。
気のいい女将さんとは、ワンダフルという新宿2丁目にあった安い八百屋で一緒になることもあった。
ご夫婦とも中国から来られた人たちで当時は小学生と中学生くらいのお子さんがいた。

というわけで、いまこの場所になにがあるか行ってみた。
はい、シャトレ市ヶ谷の外観。

東日本大震災の日、僕は外出先から帰宅し、シャトレ市ヶ谷の前まできたところで、揺れがきた。
僕はカメラを構えているこの場所に立っていた。

2階の茶色い部分がガタガタと音を立てて、窓ガラスが割れるんじゃないかと思いながら、茫然としていると、中から多くの人が叫び声をあげて出てきた。
靖国通りを歩く人は増え、夕方にはものすごい数の人たちが徒歩で移動していた。
昔、移動の手段が徒歩しかない時代、こうして多くの人が道を歩いていたんだなと思った。

おっと、今を見に来たのだからね。
はい、こちらのお店です。

雷鳴というお店のようだ。
前のお店と同じように大陸系の方が経営している。
お昼過ぎの店内は、ほぼ満席だった。
明京園さんよりも椅子の数が多いレイアウトになっている。
お弁当も売っているね。

定食などもいろいろあるようだが、僕は五目焼きそばにした。
店内は学生や若いサラリーマン、OLでいっぱいだ。
で、きました、これ。

おいしいけど、量多すぎ(笑)
シューマイやチャーハンもついてくる。
こりゃビックリ。
なるほど、これなら繁盛するはずだね。
長く続きそうな気もする。

シャトレ市ヶ谷、今後もウォッチしていくよ。

(続く)

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巨大都市・東京の発展の裏側で、かつての街並みは急速に失われている。
ノスタルジックで心に残る街並み、建築物、飲食店…。
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【著者】
下関マグロ(しものせき・まぐろ)
フリーライター、町中華探検隊副隊長。本名、増田剛己。
山口県生まれ。桃山学院大学卒業後、出版社に就職。編集プロダクション、広告代理店を経てフリーになる。
フェチに詳しい人物として、テレビ東京「ゴッドタン」、J-WAVE「PLATOn」などにゲスト出演。
著書『下関マグロのおフェチでいこう』(風塵社)、『東京アンダーグラウンドパーティー』(二見書房)、『たった10秒で人と差がつくメモ人間の成功術』『まな板の上のマグロ』(幻冬舎)、『歩考力』(ナショナル出版)、『昭和が終わる頃、僕たちはライターになった』(共著、ポット出版)、『おっさん糖尿になる!』『おっさん傍聴にいく!』(共著、ジュリアン)、『町中華とはなんだ 昭和の味を食べに行こう』(共著、リットーミュージック)など。
本名でオールアバウトの散歩ガイドを担当。テレビ朝日「やじうまテレビ」「グッド!モーニング」、テレビ東京「7スタライブ」「なないろ日和!」、日本テレビ「ヒルナンデス!」、文化放送「浜美枝のいつかあなたと」「川中美幸 人・うた・心」など、各種メディアに散歩の達人として登場する。
本名名義の著書に『思考・発想にパソコンを使うな』(幻冬舎)、『脳を丸裸にする質問綠』(アスキー)、『おつまみスープ』(共著、自由国民社)、『もしかして大人のADHDかも?と思ったら読む本』(PHP研究所)などがある。
電子書籍『セックスしすぎる女たち 危ないエッチにハマる40人のヤバすぎる性癖』『性衝動をくすぐる12のフェティシズム 愛好家たちのマニアックすぎる性的嗜好』『みるみるアイデアが生まれる「歩考」の極意 すっきりアタマで思考がひらめく40の成功散歩術』など。